ドイツ電力会社の危機管理と情報公開

2007年11月27日 東京・経団連会館にて

1 原子力に批判的なドイツ社会とマスコミ

私は17年前からドイツのミュンヘンに住んでおります。ドイツで暮らしていますと、人々との会話や、マスコミの論調から、原子力に対する市民の不信感が、日本とは比べられないほど強いということを、感じます。

緑の党や環境団体に属していない、穏健なサラリーマンや自営業者と話していても、彼らの心の底に、根強い不信感があることがわかります。

2005年にエムニード研究所が行った世論調査によりますと、回答者の70%が、脱原子力政策に賛成しています。また75%が、「自分の家の近くに、原子力発電所が建設されることには反対だ」と答えています。

ドイツ人が原子力に対して強い不信感を抱いている最大の理由は、1986年にソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故によって、南ドイツの一部の地域で、土壌やきのこ、野いちご、野生動物などが放射能によって汚染されたことです。この事故の記憶は、21年経った今も、多くのドイツ人の心に深く刻み込まれています。

ドイツの原子力問題を、国民の環境意識と切り離して語ることはできません。ドイツ人は、先進工業国の中で、最も環境保護に熱心な国民です。この国には、環境保護に関する法律や規則が2000種類もあります。

また、ヨーロッパの他の国に比べて、ゴミの処理などに細かい神経を使っています。彼らが自然や森、動物に対して強い愛着を抱くのは、古代ゲルマン人が、森を生活の場所としていたことと、関係があるのかもしれません。

それだけに、1980年代に、東ヨーロッパの社会主義国からの亜硫酸ガスなどによる酸性雨によって、ドイツの森に深刻な被害が広がった時には、多くの国民が強いショックを受けていました。彼らにとって心のふるさとである森が、大気汚染によって傷つけられたからです。

したがって、ドイツで活動する企業にとって、消費者の環境意識を軽視することは、危険です。1995年にある石油会社が、北海油田で使っていた海上石油タンクを、海に沈めて処分しようとしたところ、環境団体が反対運動を始めました。ドイツでは、環境団体の呼びかけに応じて、多くの市民がこの石油会社のガソリンをボイコットしました。ガソリンスタンドでの売り上げの減少に驚いた石油会社は、企業のイメージに傷がつくのを恐れて、タンクの海中投棄をあきらめました。

今年からは環境汚染を引き起こした企業の、賠償責任が強化されます。工場で爆発事故が発生し、有害物質が周りの地域にまき散らされ、野生動物が死んだり植物が枯れたりしたとします。新しい法律によりますと、企業は、生態系に生じたこのような被害についても、弁償することを迫られるのです。

ドイツの新聞社や放送局は、環境意識が高く、原子力に反感を抱く読者や視聴者が多いことを、知っています。このため、環境についてのニュースは、日本よりもはるかに大きく取り上げられます。

たとえば、化学工場で爆発事故が起きても、日本では死傷者が出ない場合には、ベタ記事になることが多いと思います。しかしドイツでは、全く死傷者がなくても、工場の周りに有害物質が放出されただけで、一面トップの扱いになることがあります。

原子力についてのマスコミの論調は、一部の例外を除くと、批判的もしくは懐疑的です。新聞社や放送局は、ドイツ国内だけでなく、外国の原子力発電所でトラブルが起きた時にも、詳しく報道します。

たとえば、去年7月にスウェーデンのフォルスマルク発電所で、原子炉が緊急停止した時に、非常用のディーゼル発電装置4基のうち、2基が作動しないというトラブルがありました。この時に、ドイツの報道機関は「手動で非常発電装置を作動させるのが、原子炉の緊急停止から23分遅れたために、炉心が溶融する危険があった」と報じました。これに対しスウェーデンの原子力監視委員会は、「炉心が溶融する危険はなかった」という声明を出しています。このようにドイツのマスコミがセンセーショナルで、悲観的な報道を行う背景には、やはりチェルノブイリ事故の影響が感じられます。

1999年に、ミュンヘンのある美術館の館長は、東京に出張して講演を行うことにしていました。ところが、出発の直前になって、東海村の核燃料施設で事故が発生しました。このドイツ人は、マスコミが事故をセンセーショナルに報道したために、不安にかられ、出張を取りやめました。われわれ日本人には、大げさに思えますが、国土の放射能汚染を経験した南ドイツ人の強い不安感が、この行動に表われています。

ドイツのある電力関係者は、「ドイツ人は社会保障や税金といった問題については、冷静に議論するが、原子力問題については、特に感情的になる」と私に語りました。政治的な立場が強く反映するので、客観的なデータに基づいた、議論が難しいというのです。

27年前に緑の党が生まれた背景にも、こうした国民感情があります。ドイツの反原子力の思想は、平和運動のような、一種の社会運動に発展したのです。このような勢力に後押しされた緑の党は、1998年には連立政権に加わって、環境大臣のポストを手に入れました。そして先進工業国としては初めて、脱原子力政策を実行に移したのです。

しかしドイツの電力業界は、ここ数年、原子力についての世論に、微妙な変化を感じ始めました。たとえば私がおととし話を聞いたある電力関係者は、「ドイツのマスコミの、原子力に関する報道姿勢は、以前に比べると、客観的になってきた」と語っています。

その理由の一つは、いまヨーロッパで、エネルギーの安定供給に関する議論が行われていることです。その発端は、ロシアとウクライナやベラルーシとの間で起きた、トラブルです。

ロシアは、貿易をめぐる交渉でこれらの国々に圧力をかけるために、天然ガスや石油の供給を、一時的に停めました。この際に、ドイツでも、一時的にロシアからの天然ガスや石油の供給がストップしたのです。このことは、西ヨーロッパ諸国に強い衝撃を与えました。

ドイツで消費される天然ガスや石油のほぼ3分の1は、ロシアから来ています。しかし、ロシアが政治的な目的を達成するための手段として、エネルギーを使ったことから、「ロシアへの依存度をこれ以上高めることは、危険だ」と指摘する声が強まっています。その中で、原子力発電の役割が注目されているわけです。

またドイツ政府は、地球温暖化に歯止めをかけるために、2020年までに二酸化炭素の排出量を、1990年に比べて40%減らすことを目標にしています。ドイツでは、「原子力発電を廃止し、再生可能エネルギーの比率を増やすことによって、二酸化炭素の排出量を減らそうとすると、経済に莫大な負担がかかる」と危惧する声が出されています。このため、保守派に属する政治家の間からは、脱原子力政策を見直すべきだという意見が出ているのです。

こうした事実から、電力業界では、「1970年代、1980年代に比べると、原子力についてのマスコミの論調の中で、感情論が減ってきた」と見ていたのです。電力業界にとっては、歓迎すべき傾向でした。ところが今年の夏、原子力推進派に冷たい水を浴びせるような事件が、ドイツで起こりました。

2 ヴァッテンフォール事件の教訓

 今年6月28日、午後3時2分。ドイツ北部のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州にあるクリュンメル原子力発電所で、変圧器のショートによって、火災が発生しました。

発電所は送電系統から切り離され、原子炉は自動的に緊急停止しました。火は7時間後に消し止められ、けが人も放射能漏れもありませんでした。

IAEA(国際エネルギー機関)は、INES(国際核トラブル評価)という基準に基づき、原子炉での事故・トラブルの重大性を7段階に分類しています。INESによりますと、この火災の危険度は、最低レベルのゼロでした。監督官庁は、全ての安全システムが機能したことを確認しています。

しかし、原子炉を管理していた、ドイツ第三位の電力会社ヴァッテンフォール・ヨーロッパは、社会から厳しい批判を浴びました。

 その理由は、この会社が積極的な情報公開を拒んだことです。火災が発生してから18分後に、コントロール室にいた班長は、原子炉内部の水蒸気の圧力が高まっていることに気づきました。このため班長は運転員に対して、安全弁を開けたり閉めたりすることによって、圧力を20%減らすように指示しました。

ところが運転員は、班長の指示を間違って理解したために、安全弁を4分間にわたり開けたままにして、圧力を80%減らしてしまいました。しかし安全システムが作動して、冷却水が自動的に供給されたため、原子炉には危険は生じませんでした。

会社側は、コントロール室で意思の疎通がうまくいかずに、誤った操作が行われたことを、隠していました。ところが、事故から1週間経って、環境団体グリーンピースが、このミスを公表してしまいました。このためヴァッテンフォール・ヨーロッパは、ミスを隠していたことをしぶしぶ認めたのです。

 さらに、当初「けが人が出た」という未確認情報が流れたことから、監督官庁は、健康被害があったかどうかを確認するために、火災の時にコントロール室にいた運転員から、事情を聴こうとしました。

ところがヴァッテンフォール・ヨーロッパは、「プライバシーの保護」を理由に、監督官庁に対して運転員の名前を明かすことを拒否したのです。このため検察庁が、発電所に捜査官を派遣して事情を聴くという異例の事態となりました。

 またドイツ北部のブルンスビュッテルにある原子力発電所でも、たまたま同じ日にトラブルが発生し、原子炉が緊急停止しましたが、その際にタービンが過熱して、ボヤが起きていました。ヴァッテンフォール・ヨーロッパは、このボヤについても、当局に1日遅れて報告していたことが、明らかになりました。

 ジャーナリストたちは、「ヴァッテンフォールが情報公開を拒むのは、何かさらに大きな問題が隠されているからではないか」と考え、論調は、日に日に厳しくなりました。

 原子力エネルギーに比較的理解のあるメルケル首相も、情報公開が遅れたことについて、「受け入れがたい態度だ」と述べて、電力会社の姿勢を厳しく批判しました。

 火災は、原子炉など重要な施設に全く危険を及ぼさなかったので、本来ならば、小さな記事で終わるような出来事です。しかし、ヴァッテンフォール・ヨーロッパは、情報をきちんと公開しなかったために、連日、新聞の一面トップで槍玉に上げられ、企業のイメージに、深い傷をつけられてしまいました。この事件によって、世論の原子力エネルギーに対する見方は、一挙に厳しくなりました。

 アーヘン高等専門学校でエネルギー問題を教えているヘルムート・アルト教授は、原子力についての報道の難しさを、こう説明しています。「ほとんどの政治家、ジャーナリスト、市民には、原子力発電を理解するために必要な、高度な専門知識がない。このため、電力会社の情報隠しなどによって、いったん信頼関係が損なわれると、どうしても原子力を拒絶するようになってしまう」。

 突発的な事態が起きた時には、マスコミから質問が来た時に答える「守りの広報」だけでは不十分です。

特にドイツのように、原子力に対する不信感が強い国では、電力会社側から積極的に具体的な事実を公開し、住民には「安心情報」を提供することが、必要です。これは、電力会社の情報をめぐる危機管理の中で、最も重要な作業です。

しかしヴァッテンフォール・ヨーロッパは、逆に情報公開にブレーキをかけてしまい、マスコミや市民の間で、不信感を増幅させてしまったのです。火災は消し止めることができましたが、情報の危機管理については、失敗したといわざるを得ません。この会社は、「安全について、市民が抱いている強い関心を、過小評価していた」と反省しています。

 さて事件の直後から、ヴァッテンフォール・ヨーロッパは、イメージを修復するために、必死の努力を始めました。いちど失われた信頼感を取り戻すのは、容易なことではありません。

この会社は、スウェーデン最大の電力会社・ヴァッテンフォール・グループに属しています。親会社のラルス・ゲラン・ヨゼフソン社長は、ドイツで最も影響力があるニュース週刊誌、「シュピーゲル」の単独インタビューに応じました。

この雑誌は、原子力について批判的な記事をしばしば掲載します。電力会社のトップが、そのような週刊誌に対し、4ページにわたる長いインタビューを許すのは、異例のことです。このことは、ヴァッテンフォールが、ヨーロッパ最大の電力市場ドイツでのイメージが悪化したことについて、いかに強い危機感を持っていたかを示しています。

ヨゼフソン社長は、まず「ヴァッテンフォール・ヨーロッパの経営陣は、大きな過ちをおかした。我が社の対応は、まずかった」と述べ、ドイツの子会社の情報公開に問題があったことを、はっきり認めました。ヨーロッパの経営者は、何かトラブルが起きた時でも、日本と違って、自分の非をなかなか認めようとしません。そう考えますと、ヨゼフソン社長が週刊誌のインタビューの中で、率直に過ちを認めたことは、異例です。

さらに社長は、社員の心理状態にまでふみこんで、なぜ情報隠しが起きたかについて、説明をこころみました。彼は、原子力発電所の運転員には、「Bunkermentalitat」つまり「地下壕のメンタリティー」があるというのです。

ヨゼフソン社長はこう解説します。「原子力発電所で働いている人々は、世間が自分たちを批判的に見ていると思い、常に不安を抱いている。事故が起きた時、なにか発言すれば、すぐに揚げ足を取られて激しく批判されると思っているから、事実を伝えずに、つい口をつぐんでしまう」というのです。つまり、原子力発電所で働いている人たちが、まるで敵に囲まれて、地下壕に立てこもった人々のように、「世間やマスコミが自分たちに対して、敵意を抱いている」と思い込んでいるというわけです。

軽々しく外部に情報を出したために、会社が叩かれたら、自分は解雇されるかもしれない。ドイツの電力業界では1998年の自由化以来、合理化が続いており、従業員の数は減る一方です。原子力発電所側も、こうした危険を考えて、情報公開をためらってしまったというのです。

社長の発言には、「原子力に反対する市民団体や政治家たちのために、ドイツ社会には、原子力について冷静に議論しにくい環境がある」という、電力会社トップとしての訴えがこめられています。ヨゼフソン社長は、情報公開に関してミスを犯したことを認めながらも、「物言えば唇寒し」という雰囲気は、健全ではないとして、原子力について否定的なドイツ社会の風潮をチクリと批判したのです。

また社長が、突発事態に直面した運転員たちの不安感という、わかりやすいソフトな側面について語っていることも注目されます。つまり、「原子力発電所で働く人々も、他の市民と同様に、人間としての弱さを持っているのだ」というメッセージを送ることによって、読者の共感を得ようとしているのです。

ヴァッテンフォール・ヨーロッパは、インターネットを使って、事故に関する情報を大量に流し始めます。たとえば、7月13日に監督官庁に提出したオリジナルの事故報告書を、公開しました。報告書は、247ページに及ぶ分厚いもので、表紙に「機密扱い」というスタンプが押されています。

通常ならば機密扱いである、原子力発電所の運転マニュアルの抜粋や敷地内の写真公開しました。また、ボヤがあったブルンスビュッテル原子力発電所について、2001年に総合点検作業が行われた時に、監査官が行った提案や質問などを網羅した、143ページの文書もウエブサイトに載せています。

さらに9月7日には、2つの原子力発電所での安全管理について、どのような改善措置を取るかについて、監督官庁に提出した53ページの報告書も公開されました。会社側は、独立した専門家の委員会に依頼して、これらの改善措置が適切であることを、確認させています。

ヴァッテンフォール・ヨーロッパは技術面だけではなく、コントロール室の運転員に対する研修など、ソフト面についても改善することを明らかにしました。たとえば、運転員が班長の指示を誤って理解することを防ぐために、原子炉の緊急停止のように重要な作業では、「3方向コミュニケーション」を行うことを義務づけます。3方向コミュニケーションとは、運転員が班長から受けた指示の内容を復唱するだけでなく、班長も運転員が復唱した内容が正しいことを、声に出して再び確認することです。

この報告書は、「今回の火災で、ヴァッテンフォールの危機管理は不十分だった」として、将来突発事態が起きた時には、マスコミに対する広報と市民に対する情報提供を円滑に行うために、直ちに危機対策本部を設置すると約束しています。

また、ヴァッテンフォール・ヨーロッパは、監督官庁への届出が義務づけられている、技術的な小さなトラブルについても、自発的にインターネットで公表することを約束しました。環境に悪影響を及ぼさないトラブルまで公表するのも、信頼を醸成するための措置の一環です。さらに、発電所の近くに「情報センター」を設置しました。市民やジャーナリストに、事故の経緯や現場の状況について、情報を与えるためです。

ドイツの電力会社は、ふだん原子力発電所の安全対策については、めったに情報を表に出しません。このため、ヴァッテンフォールが機密扱いの報告書や、発電所の問題点に関する内部資料をインターネットで公開したのは、極めて異例なことと言うべきです。専門家の間からは、「公開された情報の中には、原子力発電所を狙うテロリストにとって、有益な情報も含まれている。内部資料の公開は、もっと慎重に行うべきではないか」という声すら出たほどです。

ヴァッテンフォールは何百ページもの資料を公開することで、「わが社は隠しごとをしません」という態度を強調しようとしています。しかし、内部資料をそのまま公開しているために、専門用語や略語がたくさん使われており、原子力発電に関する専門知識がない市民にとっては、わかりにくい点があることも、事実です。

このためヴァッテンフォールは、9月末に主な新聞に一斉に全面広告を出して、大規模な広報キャンペーンを始めました。この会社は事故の発生直後から、市民の質問に答えるホットラインを設置していましたが、再び新聞紙上で「わが社の広報活動は、十分ではありませんでした」と反省する姿勢を示しました。

そして、電話もしくはメールで市民が寄せた質問に答えるキャンペーンを開始したのです。そこで重視されているのは、市民との「対話」です。メールを送った場合には、48時間以内に電話もしくはメールで、返事が届きます。市民は、公開された事故報告書の中の、わかりにくい点などについて、解説を受けることができるのです。私もためしに質問をメールで送りましたが、ほんとうに48時間以内に、ヴァッテンフォールから電話がかかってきました。キャンペーンを始めてから2週間で、電話による市民からの問い合わせが、500件ありました。市民から特に多く寄せられた質問と、その答えについては、ウエブサイトで公開しています。

「ヴァッテンフォールは、あなたのご質問にお答えします」と名づけられたこの対話キャンペーンには、数億円の費用がかかりました。なぜこの会社は、事故から3ヶ月も経った時点で、大規模な広報キャンペーンを開始したのでしょうか。

それは、ドイツ市民の原子力に対する不信感が、一過性のものではないことを、電力会社が良く理解しているからです。この国では、「喉元すぎれば熱さ忘れる」とか、「過去を水に流す」という考え方は、日本ほど一般的ではありません。マスコミと市民の信頼を回復するには、継続的に情報を提供することが必要なのです。

ドイツでは、1998年に電力市場が法律の上で自由化されて以来、少しずつですが、電力会社を変更する顧客が増えています。ヴァッテンフォール・ヨーロッパは、今年7月に電力価格を引き上げたため、一部の地域で顧客を失い始めていました。その直後に起きた原子力発電所の火災は、この会社にとってはダブルパンチだったのです。

過去4ヶ月間にヴァッテンフォール・ヨーロッパとの契約を取り消し、他の電力会社に乗り替えた顧客の数は、20万人にのぼると言われています。

事故から5ヶ月近く経った今も、原子炉の運転再開の見通しは立っていません。これらの原子炉が止まっていることによって、電力会社には、1日につき1億6000万円の損害が生じています。ヴァッテンフォール・ヨーロッパの株価も、事故が起きてから2ヶ月間で、およそ4%下がりました。

この会社が広報キャンペーンを始めた背景には、企業イメージを修復することによって、客が他の電力会社に流れることを防ごうという意図もあるのです。ヴァッテンフォールはこの広報キャンペーンを、「顧客との関係を再構築するための投資」と呼んでいます。

これまでドイツのほとんどの電力会社は、「守りの広報」を中心に行ってきました。マスコミへの対応も、決して良くはありません。その意味で、今回ヴァッテンフォールが始めた「攻めの広報」は、ユニークな試みです。

3 ハードだけでなく、ソフト面での危機管理も重要

 ドイツ人は、リスク管理を重視する国民です。我々の暮らしの中には、火災や、自動車を運転している時に歩行者をはねてしまう危険など、様々なリスクがひそんでいます。これらのリスクをヘッジするための損害保険に、ドイツの国民一人あたりが払う費用は、日本の2倍以上です。

 ドイツ人が特に強みを発揮するのは、技術に関するリスク管理です。「技術監視協会(TUV」という全国組織があり、自動車からエレベーターに至るまで、定期的に安全点検を行うことによって、事故が起こるリスクを最小限にとどめようとしています。

ドイツの原子力発電所では、10年おきに総合的な安全点検が行われます。ある発電所では、1度の定期点検で231本の鑑定報告書が作られ、そのページ数は実に5万ページにのぼりました。

監督官庁に届出が義務づけられている、原子力発電所でのトラブルや事故は、毎年およそ100件起きていますが、環境や住民に悪影響を与えるような、深刻な事故は、一度もありません。

 このため電力業界は、「ドイツの原子力発電所の安全性は、世界でもトップクラスだ」と主張し、ハードの面で高い水準を持っていると強調します。

 しかしクリュンメル原子力発電所で起きた火災から、ドイツの電力会社が、市民の不安感や、突発事態が起きた時に、事実を一刻も早く知りたいと思う気持ち、つまりソフトの面に対する配慮を、必ずしも十分に行っていなかったことが、わかりました。自由化が進むヨーロッパの電力会社は、顧客を他の会社に奪われないためにも、「信頼できる企業」というイメージを確保することが重要です。

 つまり、原子力発電所のスムーズな運営を行うには、ハードの面だけでなく、ソフトの面も重視する必要があるのです。

 以前フォルクスワーゲン社で広報課長だった、ドイツのある企業コンサルタントは、「自動車会社では、顧客の要望に細かく対応するのは当たり前のことだ。だが電力会社では、この考え方がまだ浸透していない」と語っています。

 ドイツの電力業界が、今回の経験を教訓として、ハードの面だけでなく、ソフトの面での危機管理を充実させることができるかどうか。この問題は、ドイツの原子力エネルギーの将来をめぐる議論にも、大きく影響を与えると思われます。 

ご清聴ありがとうございました。